人寄せ音楽では、つまらん
エロ狂言と一緒にやったライブに、反戦サウンドデモで知り合った友達が来てくれた。11月に大阪城野外音楽堂で沖縄の基地反対とイラク反戦のでっかい集会があり、その時にバンドやDJで好きな事ができるプレステージの時間をゲットしたと言う。「おー、そりゃあ何かやりたいね。でも集会の賑やかしにバンドもDJも出てきましたぁ~みたいなのは、もうやめにしたいね」「人寄せ的に音楽が使われるのは、やるほうもつまらんしね」という話で意気投合した。
ちょうどジェロニモレーベルで活動開始する直前に9/11ニューヨークのテロがあり、初ライブの直前に対アフガン報復戦争が始まった。その一年後に偽ジプシーを立ち上げ、オリジナル・チョチェックも演奏し始めて調子が出てきたころ、イラク戦争が始まった。
バンド再開してからの3年は、まさにテロと戦争が「おおっぴらに」世界を覆い尽くした日々。だから、終末感と無力感から逃れる事はできなくなったけど、逆に、自分のやってることに確信を持ってないとやってられんし、実際、やってる事は確実に楽しくなってる。と俺は思ってる。
前に、反戦の小さなイヴェントにソロで(独りジェロニモレーベル&独り偽ジプシー)出た時、最後に全員でジョンレノンのイマジンを歌うのがど~しても嫌で「すんません。俺、自分の曲だけでいいッスか」と、言ったことがあった。今でこそどうか知らんが、決まったように喜名昌吉の「花」とかイマジンが出てくるのが嫌で嫌で仕方なかったのだ。ジェロニモレーベルの「空の上からやりたい放題」とか「永遠の正義」とか、偽ジプシーの「ぬけがら」とか「おんなたらしハーリド」とか他にもいい曲いっぱいあるやんか、などと、ミュージシャンエゴと渾然一体化した苛立ちがありました。今でもあります。(あぁ、CDをもっと世に認知させねば….)
しかし、みんなでジェロニモレーベルの曲を歌うっちゅうのも、それはそれでやはり気色悪いもんがあるな。反戦イヴェントで、物欲チョチェックとか歌ったらインパクトあるかもしれんな。でもあんまり意味ないか。(ほんまに、早いとこ世間に認知させねば…)
俺の音楽、ときどき社会派と言われる。もちろん、言う人によってほめてたり敬遠してたり、いろいろあると思うんだが、音楽やってるもんは音楽だけ、生活してる人は生活だけ、政治は政治の人だけ、仕事は仕事だけ… みたいな結果が、今の八方塞がりな状況と思うのです。そういう、意味のない「分業」の壁をとっぱらったら、この島国も風通し良くなると思うんやけどな。
9月に吉田一平ちゃんが企画した「反戦ミュージック」も、そういうのを狙ったと思うし、ある意味それが成功できたと思う。最初一平君が、ライブの前にデモもやりたいと言った時、俺は「そんなん、無理に決まってるで」と言い放ったのだった。しかしふたを開けてみれば出演者ばかりじゃなく、デモなんか初めてするような友達のミュージシャンも嬉々として歩いていた。あの時は、思い込みが崩れていく快感を覚えたのでした。この反戦ミュージックについては、ちゃんとしたレポートを作らんといかんなぁ。
11月の大阪城野音も、おもろい事ができそうな気がする。
コメントフィード
トラックバックURL: http://www.musicadeira.com/blogvic/wp-trackback.php?p=9