メキシコ・シティからサン・クリストバル (by 偽日本代理事務所)
tomodachi no Ichizaki kun ga nihongo ni naoshite okutte kuremashita. arigatou!
2/19
チェ・ゲバラ講堂から友達の家に戻り,一日脱け殻のように過ごす。
2/20
しばらく世話になっていたガビィ(ガブリエラ)とダヴィドの家からホテルに移る。ライヴ続きで,毎日人と会いまくっていたから完全に一人になってほっとする。
チアパスに旅するのに,ガット・ギターが欲しいので,楽器屋街をうろつく。terceloraという種類の,ファルソス・ヒターノスのライヴでそのまま使えそうな小さいサイズのを買った。550ペソ(約6000円)。
夕方,xs-grita-radioという,インターネット・ラジオのインタビュー。待ち合わせの地下鉄の駅にパメラが車で迎えに来てくれた。一時間の生番組だったが,俺が遅刻したので(メキシコ・シティの地下鉄はなかなか便利だが,いつも予想以上に時間がかかる),スタジオに着くなりインタビュースタート。スペイン語に時々英語混ざりで前半はジェロニモ・レーベル,後半はファルソス・ヒターノスのことをしゃべる。
そのあと,メキシコ・シティのパンク・ミュージックのキーパーソンであるバムバムが,Massacre68のヴォーカルAknezを紹介してくれるというので,地下鉄のInsurgenteであまちんと合流。Aknez自身が経営する,パンク・ファッションの店に行く。
Aknezはメキシコのパンクのカリスマだけあって,眼光の鋭さは半端じゃないが,実際にしゃべったら温かみのある人柄だ。Massacre68(このバンド名は実際に1968年にあった,軍隊による学生大虐殺からとっている)のCDとジェロニモ・レーベルのCDを交換。俺らがしゃべってる間,バムバムは店にある皮ジャンを片っ端から試着して喜んでいた。彼も見かけはいかついが,なかなか微笑ましい男だ。
Cerveza(ビール)でも飲もうと,4人で近くのバーに行く。Aknezとバムバムはジュースを飲んでいた。昔は酒いっぱい飲んだが,今は飲まないという。今日買ったばかりのギターで「Daño y Provecho(利害)」と「Lo Banal(陳腐)」を歌ったら,Aknezは真剣に聴き入って,「Me gustó mucho(気に入った)」と言ってくれた。3/4のパーティーで,何か一緒にやろうという話になって,あまちんと興奮。
2/21
ピラミデ・デ・ソル(太陽のピラミッド)とピラミデ・デ・ルナ(月のピラミッド)で有名なテオティワカンに行く。メキシコに来て,初めての観光らしい観光だ。バスがメキシコ・シティを離れ,ピラミッドが見えてきた時は単純に興奮した。広い遺跡の中庭そこら中で,焼き物で作った亀の形をした笛(オカリナ)を売っていて,ピイピイとすっとぼけた音が響いていて笑えた。俺も買った。ラーメンのチャルメラみたいな音がして楽しい。
ピラミッド歩き回って,バスでメキシコ・シティに戻ると思った以上に疲れていた。ホテル・イサベルにエレキ・ギターほか要らない荷物を預けて,サン・クリストバル・デ・ラス・カサス(チアパス)行きのバスターミナルに着く。めっちゃくちゃ巨大なバスターミナルで乗る直前になって,空港みたいな荷物チェックがあることが分かり,かなりあせったが無事乗れた。
バスではほとんど寝ていたが,夜中たまたま目を覚ましていたとき,道路に落ちてる何か固いものをバスが轢いたのを目撃(運転席の真後ろだったので真正面がよく見える)。しばらくして,何もないところでバスは止まり,他のバスに乗り換え。
2/22
その後は何事もなく,明け方,Tuxtlaの街に着く。それにしてもシウダード・デ・メヒコからここまで13時間,一度もトイレ休憩がないというのはキツイ…いくら乗り心地がいいとはいえ,からだ延ばせないのはつらい。
Tuxtlaからは,ひたすら山をぐんぐん登っていく。ほんまに,一体どこまで登るんや?というぐらいぐんぐん登っていく。やがて,インディヘナ(インディオ)のpueblo(村)がちらちらと現れ,サン・クリストバル・デ・ラス・カサスに到着。
こじんまりしていて,歩いててうきうきするような街だ。楽器持って歩いているといろんな人が声掛けてくるので,演奏できる場所はすぐに分かった。夜,CircoとRevolucionというライヴ・バーにCDを渡しにいった。Revolucionではトラディショナルっぽいけどちょっとふざけた感じの面白いバンドが,Circoでは地元の人気レゲエ・バンドがやっていた。
2/23
サン・フアン・チャムーラとシナカンタンという,インディヘナのpueblo(村)を訪ねるツアーに参加。ガイドはスペイン語なので,詳しい説明はほとんど分からんかったが,かまどで焼きたてのtortilla(黒いトウモロコシで作った)をごちそうになったり,メルカード(市場)をうろついたり面白かった。Artesania(手芸品)が,安くてとてもカラフルでかわいい。
夜Circoに行くと,Tichaという男が声を掛けてきた。彼はDemonissyという,ちょっとおろおどろしく,ちょっとヴィジュアル系がかったバンドのヴォーカリストなのだが,ドラム叩けるというので,ギタリストのIlhuicaminaがベースを弾いて,「ジェロニモ・レーベル・サン・クリストバル・バージョン」をやることに! Circoのマスター・ルイスが日曜日がちょうど空いてるからライヴやろうと言ってくれた。
2/24
夕方,Tichaの家で練習。家にスタジオがあって,でかい音でガンガンやってるのに隣の部屋では小さい子供が普通にテレビ見て遊んでる。何というか,迷惑をかけるということに関して,メキシコは恐ろしく寛容な感じがする。この日はTichaが自分たちのCDの用事でTuxtlaに出かけていたので,Ilhuicaminaと二人で合わせた。ベースと一緒に演奏するのは2年ぶりだ。
夜,カフェ・Talleresという,アコースティック中心の小さなカフェに行ったら,前にRevolucionで見た,おもろいバンドがたまたまやっていた。店のアンドレスに「ここに来たら演奏できるって聞いたけど…」と言うと,「じゃあ,金は出せないけど,ビールタダにするから今からやるか?」と言うので,飛びこみでライヴ。
ファルソス・ヒターノス中心でやった。やはりマヌー・チャオやメセチナはウケる。何度も「otra! otra!(もっともっと)」と言われ,結局一時間近くやった。アンドレスが明日も空いてるからライヴしようと誘ってくれた。
そのあとは,店の常連らしきパンチョというおっさんにギターを渡し,3時ぐらいまで,彼の歌うランチェロ(メキシコのトラディショナル)で大騒ぎ。めちゃくちゃ楽しい夜だった。
2/25
二日酔いで目覚める。昼間は街をぶらぶら歩き回り,夕方からTichaのスタジオで練習。「陳腐」,「利害」,「サメ」,「カモ」,「お前の言いなり」,「罰当たり幸福男」の6曲を手がける。
一番難しかったのは「サメ」で,簡単に合わせられたのは「カモ」だった。そして,彼らが
一番好きだと言ったのは「(世界は)お前の言いなり」だった。何度もCDを聴いて確認しながら3時間ぐらい練習した。ぼん吉やツダビンスキーのドラムはスゴイ!と絶賛していた。Tichaは「お前の言いなり」で呪文のように繰り返すところをえらく気に入って真似して歌いたがるのが可笑しかった。コイツら,めちゃくちゃ愉快な奴らだ。
夜10時,カフェ・Talleresに行く。夕べがあまりに楽しかったので,はりきって出かけたのだが,お客はほとんどいなくて,遊びに来てくれたTichaやIlhuicaminaを前に寂しく始めた。わははは!
それでも入れかわり立ちかわり,人が入り,途中でラリった兄ちゃんがトランペットで邪魔するというアクシデントを含め,やや寂しくも楽しく終わる。夕べは特別濃い連中が集まっていたみたいだ。普段は割と静かなカフェらしい。昨日も聴いていたマルシアルとセリーナが,「いくつかの曲で,昨日よりスペイン語がこなれていたよ。練習したの?」と言ってくれたのが嬉しかった。
2/26
昨日セリーナたちに誉められたのでいい気になり,ライヴでやる曲をなるべくスペイン語で歌えるように,ホテルでひっそり練習。そして,メキシコ・シティに戻った3/4のパーティーでMassacre68のAknezと何か一緒にやるかもしれないので,Massacre68の曲も軽く練習。かなり速いハード・コアなので,最初聴いたときは,ムリかも??と思ったが,いくつかできそうな感じがしてきた。
後はぶらぶら街歩いて時間つぶし。この街について3日しか経ってないが,歩いていると時々友人に会う。Tichaが「今夜にそなえて聴きまくってるんだ」と,ジェロニモ・レーベルのライヴ盤をウォークマンで聴きながらマードレ(お母さん)と歩いてるのにも出くわした。
あまちんから3/4のフィエスタの準備で苦戦しているとメールが届いていた。ドラムの調達とかで,今回も苦労してる模様。Aknezやバムバムたちに頼もうと思ったが,Massacre68のライヴは人が一杯過ぎて,全然話する余裕なかったらしい。
珍しく,夕方雨が降った。Tichaの家で軽く一通り練習して,タクシーでCircoに行く。8時からスタートというので,「そんな時間は人来ないぞ」とTichaたちは心配していたが,案の定,店は開いたばかり。セッティングして,サウンドチェックしている内にちらほら人が入ってきた。
ルイスからは,持ち時間1時間もらえると聞いていたが,今日はルイスの姿はなかった。店からは,遅れて着いたから持ち時間は30分と言われた。夜は長いし,どう見ても人が一杯来る時間ではないので,納得できなかったが,文句言ってもしょうがない。いったん演奏始めたら何かが起こるだろう。
Tichaたちと一緒にやるのはせいぜい20分ぐらいだから,最初は俺のソロでスタート。Ilhuicaminoが「”サメ”は,君のソロでやった方がいいし,そうしてくれ」と言ってきたので,サメやメセチナを一人でやった。今回のソロ3曲は,メキシコに来て一番寂しいライヴだった。ガヤガヤして誰も聴いてないような感じだった。
だが,TichaとIlhuicaminaをステージに呼び,「3日前に出会ったばかりですが今日一緒に演奏します。ジェロニモ・レーベル・サン・クリストバル・バージョン!」と紹介すると拍手や口笛あり。「利害」,「陳腐」,「カモ」,「(世界は)お前の言いなり」,「罰当たり幸福男」の5曲を演奏。特に,罰当たりの即興の部分では,みんなかなり好き勝手に弾きまくり,お客もかなり沸いていた。
俺らのライヴが終わって,地元のレゲエ・バンドがセッティングを始めると,どんどん客が入ってきた。それでちょっと,この日のライヴそのものには空しさが残ったが,TichaやIlhucaminaという,素敵な奴らと一緒に演奏できたことが何より嬉しい。彼らも,「今度メキシコに来るときは俺らのバンドと一緒にやろう!」と言ってくれた。
2006-03-01 メキシコ・シティからサン・クリストバル (by 偽日本代理事務所) | カテゴリー:旅, 音楽 | コメント (0)
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