メキシコシティー (by 偽日本代理事務所)
tomodachi ga my blog wo nihongo ni naosite tensou sitekuretanode, up simasu. Gracias(arigatou) Ichizaki kun!
市崎@ヒデヨビッチ上杉「偽」日本向け広報担当(笑)です。
先週土曜日,2月頭からメキシコへ世界ツアー中の上杉さんよりメールが届いたので,翻訳してお送りします。(ローマ字からかなに直しただけですが(~_~メ))
件名 : メキシコおもろすぎ[Sat, 18 Feb 2006]
ハロー(Hola),市崎くん。メキシコ来て10日で,すでに3回もライブやった。
明日は,その名も Auditorio Che Guevara〔チェ・ゲバラ講堂〕という,まさに西部講堂みたいな自主管理空間でパンク・バンドと一緒にライブやるよ。
昨日,Radio Pacheco ていう独立系FMのインタビュー受けに行ったら,なんと,高校生がやってるラジオ〔局〕だった。しかも,バリバリのEZLN支援団体。でもやっぱり高校生だから,すごくかわいい。
今週はライブばっかりで忙しすぎたんで,来週あたり,メキシコシティーを抜け出して,チアパスに行くつもりです。
日本の皆さんによろしく!
Hideyovic
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<転送メールその2>
件名 : ヒデヨヴィッチ上杉さん@メキシコよりPART 2[Sat, 25 Feb 2006]
市崎@ヒデヨヴィッチ上杉公認・偽日本代理事務所(!?)です。
実は前のメールは僕個人宛でフライング転送だったのですが,御本人のOKを取り付けました。そのメールの翻訳(これはマジで)です。末尾に僕の交信記録入りの原文もつけておきます。なんかヘンに緊張するなあ。日本語は読むことはできるそうなので,彼に直接レスしてもらってもいいと思います。
—–<翻訳文>——
やあ,市崎君。
両MLへの転送,もちろんオーケーです。っていうか,誰かにそれやってもらおうと思ってたんよ。サンクス!
La verdad es que(マジなこと言うと),こちらでは日本語は書けんのやけど,〔読む方は〕日本語も読める。せやから,君の翻訳したのも俺に送れるよ。それぜひ
送ってほしい。
俺はサン・クリストバル・デ・ラス・カサス〔訳注;ガテマラに接するチアパス州の中心にある高原都市。つい2006年1月1日にもマルコス副司令官が占拠を呼びかけた〕に到着したところ。この街は1994年,最初にEZLNが登場した場所だ。インディヘナ(先住民)の人々がたくさんいて,すごい素敵な街だ。俺は昨日ここに到着したばかりなので,俺の音楽がメキシコ・シティみたいに受け入れられるのか,それとも受け入れられんかはまだよく分からん。まあぼちぼちやってみますわ…。
というわけでありがとう,また後でメール書くわ!
Hasta Pronto(ほなまた)!
——<原文・略>——
<ブログ翻字>
2006年02月16日
メキシコ・シティ―1
メキシコにきて1週間たった。日本語は入力できないんでローマ字で勘弁してね,皆さん。
2/8
メキシコ・シティに到着。その晩,ラッキーなことに友達の誕生パーティーがあり,早速歌いまくり友達できまくりました。初日から飛ばしすぎ!
2/11
Tianguis Chopoという,ロックやパンクやオルタナティヴな音楽の青空市場みたいなのがあり,そこの路上で勝手にライヴをやった。そうしたらカルロスという男がパンクのライヴの主催者を紹介してくれて,2/14のでかいパンク・ライヴに出ることになった。
2/13
カルロスと一緒にUNAMという,メキシコで一番でかい大学にある,Auditorio Che
Guevara〔チェ・ゲバラ講堂〕という場所に行った。そうしたら18日が空いてるからライヴやろうか!といとも簡単に決まった。おまけにRadio-OkupaというミニFMにその場で生出演。ジェロニモ・レーベルのCDをガンガンかけまくりながらインタビューされる。
2/14
Cosmo 2000というでかいホールでパンクバンドばっかりのライヴ。約束してたメキシコ人のドラマーはなぜか現れず(トホホホ…),日本人のあまちんという友達に急遽ドラム叩いてもらった。めちゃくちゃ受けました。若いキッズたちが真剣にCDも買ってくれた。Chingon!(スゴイ!)と,いろんな人が喜んでくれた。
2/15
18日のチェ・ゲバラ講堂でのライヴの打ち合わせに行くが,肝心のカルロスは現れず…結局外のバンドをどうするかとかドラムをどうやってはこぶかという話を俺がするハメになり,さすがにスペイン語の限界を超えたので,あまちんにヘルプを求めて何とか乗り切った(…のか??)
という感じで,いきなり動きまくりで,疲れてますが楽しんでます!
hasta luego(ではまた)!!
(コメント)2006年02月20日03:54
そうなんですよ。何か動けば,話はトントン拍子に進むよ。話だけ決めて,後はほったらかしにされることも多いけど,そうやって愉快に鍛えられてますわ。わははは
2006年02月20日
メキシコ・シティ―2
昨日,チェ・ゲバラ講堂のライヴが終わり,メキシコ・シティ(Ciudad de Mexico)でのライヴは一段落ついた。ホントに,何か動けば確実なリアクションがあって,いくらでもライヴやる話は来るのだが,さすがに疲れた!!昨日のライヴもライヴが始まる直前までいろんなどんでん返しやすっぽかしに振り回された。わははは,メキシコほんまにおもろい。
2/16 Radio Pacheco
あまちんと一緒にRadio Pacheco (http://www.radiopacheco.org/2005/)のインタビューを受けに行く。ホームページ見たら,EZLNへのサポートを表明してて,かなりバシッとした政治的なところだと思っていたが,着いた場所は,なんと,ハイスクール。高校の中に掘っ立て小屋みたいなラジオ局があって,昼休みの高校生たちが好き勝手にラジオやってる。びっくりした!
そこでジェロニモ・レーベルのCDガンガンかけてもらい,アコースティックギターとパーカッションで生演奏までやらせてもらった。そうすると,何だ何だ?という感じで高校生たちが小屋の周りに集まってきて楽しかった。政治意識の高さと子供っぽい好奇心があふれてて,すごく愉快なスペースだ。学校の当局とは緊張関係にあるらしく,途中で「音下げろ」とか言いにきたオッサンもいたが,へらへらとかわしながら,彼らは愉快にやっていた。
夕方,携帯(こっち来て,めっちゃ安いのを買った)に留守電あり。インターネット・ラジオからの連絡だったが,メッセージを聞き取るのに20回ぐらい聞き直して,ようやく相手の電話番号分かった。
2/17「エル・ミケラーダ」にてソロ・ライヴ
ギター2本とあまちんに借りたアンプを担いで,夕方の満員の地下鉄でへろへろになってエル・ミケラーダに遅れて到着。しかし…お客は一人もいない。そして,このライヴをセッティングしてくれたカルロスはまたしても姿を現さず…
この前,店(ここは街にある普通の小さなバー)に下見に来た時はカルロスが,客が一杯来て入りきれなかったらどうしよう??(メキシコでは屋外での飲酒は禁止されてるので)などと心配してて,俺が「そんなことはありえんやろ」というと,「いや,ここはメキシコだから」などと言ってたそのカルロスは今日も現れず。
店の常連客を相手にぼちぼち始めるか…と思ってたら,14日のライヴで出会ったアレハンドロとヴェロニカのカップルが来てくれた。それで俄然やる気になり,ジェロニモ・レーベル,ファルソス・ヒターノスに,マヌー・チャオのカヴァーとか混ぜて一時間ぐらいやった。最初は完全にアウェイでのライヴと思ってたが,店の人が日本に帰る前にもう一回やってくれと,新しいライヴを決めてくれた。アレハンドロたちも自分の大学でのパーティーで演奏してくれと誘ってくれた。
2/18 Tianguis Chopo & Auditorio Che Guevara
この日は,朝から怒涛の一日だ。先週土曜日に行ったTianguis Chopo(ロック,パンク,オルタナティヴ…メキシコ・シティのあらゆる音楽が集まる青空市場)に,チェ・ゲバラ〔講堂〕でのライヴの宣伝を兼ねて行く。14日のパンク・ライヴのオーガナイザーでもあるバムバムも店を出している。「今度メキシコ来た時は俺にもドラム叩かせろ」と言ってくれた。
近くの路上にあったドラム缶をあまちんが叩き,ミニ・アンプでゲリラ・ライヴ。またたく間に人垣が出来る。「利害」と「お前の言いなり」の2曲だけやって,集まった人にフライヤーを配ってチェ・ゲバラ講堂に向かった。チェ・ゲバラ講堂にはほとんど機材がないので,バムバムが紹介してくれたニーニョ・ゾンビーというスカ・パンクのバンドがドラムやアンプやマイクを貸してくれることになった。
バムバムが紹介してくれたもう一つのバンドは結局現れず。そして,今週のライヴ全てをお膳立てしてくれたカルロスも最後まで結局現れなかった。彼と出会わなかったら,こんなにライヴできなかったわけだから,すごく感謝してるのだが…
AuditorioやRadio Okupa(13日にインタビューしてくれた)のスタッフはホントにいい奴らで,リハーサル(リハ)の時から”Chingon”(スゴイ)!といって喜んでた。土曜日は学生がほとんどおらず,しかもチェ・ゲバラ講堂は街から遠く離れてるので,なかなかお客は来なかったが,それでも30人ぐらい来てくれた。気前よく機材を運んでくれたニーニョ・ゾンビーの連中とも仲良くなり,俺らのライヴもスペイン語と日本語ミックスでいい感じで出来た。Auditorioの連中も喜んでくれてそして客が少なかったことを残念がってくれて,次にやる時は,少なくとも宣伝に2週間は必要だなと話をした。ファルソス・ヒターノスのCDRを聴かせたら,「こっちのバンドでも来いよ!!」と言ってくれた。その夜はAuditorioの連中と愉快に飲みまくった。
明後日から,しばらくメキシコ・シティを抜け出して南の方に行く。やっと旅らしい旅ができる!
2/25 genzai, Chiapas no San Cristobal de las Casas toiu sutekina machi ni imasu. Yube, bar de tobikomi de live wo yattara kyou mo yattekure to iware, asita wa jimoto no chotto visual kei no band no yatsura ga drum tataitekurerukotoninari, Geronimo Label San Cristobal version de live yarimasu. Kuwasikuwa nochi hodo!! Hasta luego(dewa mata)
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