偽ジプシーと偽ヒッピー
先日、京大西部講堂で行われた太陽と月の祭りに偽ジプシーで出てきた。5日に渡る祭りの最終日に初めて現地入りしたのだが、ごっつい竹で組み立てたティーピー(インディアン風のテント)やら樹上小屋の立ち並ぶ様は壮観で、まず会場に入ったとたん圧倒された。全国から旅してきた人々が住み着いて、西部講堂前広場が巨大な現代版ヒッピーコミューンと化していた。
俺らの前に歌った人たちは、大地がどうの命がどうの…とラブリーに歌いつつ、それにマリ○ァナ落ちがつくという、絵に描いたようなアレで…。こういうのってどんな顔して聴いてたらいいのか、ほんまに困るんやなー。バカたれ戦争の時代に、そのような陳腐メッセージなど屁にもならんわぃと無性にイライラするんだな。演奏する方にも、受け取る方にも、何かを変えようとかいう気迫がまったく見えず。惰性の垂れ流し!
その、ノペ~っとした空気をバリバリっと変えるのが俺らの仕事であろうと勝手に決め、アグレッシブに攻めようじゃあないかとアコーディオン奏者デビッチと確認(まぁ、それはいつもの事である)。さらに、8月のイヴェント(友川カズキの前座@京都磔磔)のビラを配りに来てくださったnicheのスタッフにも、いっぱつ、空気変えますわと宣言。
「月はない、太陽もない」で始まるメセチナを歌い出したら、テントや屋台にこもっていた人たちが「なんじゃこいつら?」ていう感じでワサワサっと出て来るのが見えた。あちこちで踊り出す人もちらほら。「偽ヒッピーの皆さんこんにちわー。俺ら偽ジプシーでーす」などと失礼かましつつ、強引に異文化交流してきた。
途中、前に出て行ったデビさんを10人ぐらいが囲んで輪になって踊り出した。一瞬、ほんもののバルカンの祭りみたいだった。終わった後は、いろんな人がおもろかったわ~と声かけてくれ、超絶ジプシーバイオリンを弾く徳島在住イギリス人のおねえさんとジャムって遊んだり…。幸せな半日を過ごさせてもらいました。
いわゆるヒッピー乗りは苦手だが、祭り空間の作り方とか行動力とか人的ネットワークは本当にすごいと思う。ただ、突出した歌をもっともっと聴きたい……。たった一日、しかも最終日に参加させてもらっただけでこんな事言うのは、やはり失礼だろうか? 失礼ですかね? 失礼を百も承知の上であえて言ってみる。感謝を込めた挑発です。
ヒッピー文化を軽々と越えてくれ~ぃ、現代の偽ヒッピー! /偽ジプシーより偽LOVEを込めて
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